【旅エッセイ】アフガニスタン人の彼の、日本へのありがとうの気持ちと、深くあたたかい優しさを、あなたにも伝えたい。

      2019/07/25

aiyatti

 

毎朝4時にじいちゃんが起きてきて、台所でお米を研ぎ出す。続いて5時に、お父さんが起きてきてテレビのスイッチを入れ、チャンネルをNHK総合テレビに合わせる。最後は6時に私が『ハロー!わたしキティ!早く起きて、一緒にあっそびっましょ!がんばれ、がんばれ、パンパカパーン!!』と超ハイテンションなハローキティの目覚まし時計に叩き起こされ、寝癖大爆発の状態で、のそのそと茶の間に向かう。

 

家族3人揃ったこたつ机の上には、炊きたての白米、お味噌汁、山盛りキャベツの千切りの上に黒焦げの甘い卵焼きと黒焦げのウインナーがのっていて、緑茶があって、毎日変わらない我が家の定番朝ごはんが待っている。

 

まだ半分寝ている頭で、黙々と朝ごはんを食べるときのBGMは、毎朝決まってNHK総合テレビのニュース。その時間帯は、よくイラン・イラク・パキスタン・アフガニスタンなどの海外情勢を伝えていた。

 

当時中学生だった私は、世界史の高校教師をしている父にちょっと反抗期で、世界史の授業と世界情勢ニュースにまで反抗的な態度をとっていた。

 

それでもあまりにも寝ぼけている不可抗力状態時のBGMが、毎日繰り返される世界情勢ニュースだったので、完全に反抗することができず、その名前の国と地域は危険で、大変な国、という情報だけは強く頭に刷り込まれていったのだった。

 

 

時は流れ、反抗期を終えて大人になった私は、反動なのかなんなのか、世界に興味深々になり、日本から飛び出してドイツはベルリンに住んでいた。

 

必死に英語とドイツ語を学びながら迎えた、4年目のベルリン生活。完璧ではないけれど、言語的にも自由を手に入れた私は、イラストレーターとライターとしてベルリンを拠点にヨーロッパを放浪し始めた。

 

今年の4月は念願のボローニャ国際絵本見本市を見に、イタリアへ。世界最大の絵本見本市に大興奮!感動とトキメキを胸に、クタクタの状態で宿泊先のAirbnbにたどり着くも、家の鍵をうまく開けられずに、ドアの前で途方にくれていた…。(ヨーロッパの古いアパートの鍵は、それぞれが個性的で、癖を把握するのにいつも苦労している)すると、あまりにも私が鍵をガチャガチャしていたからなのか、笑いながら『Are you ok ?』と、女の子が中からドアを開けて助けてくれた。その子はフランス人のイラストレーターで、彼女もまたボローニャ国際絵本見本市を見にやってきたとのこと。共通の話題に、私たちはすぐに打ち解け、仲良しになった。

 

2日間同じAirbnbで過ごし、お別れの日。今度は彼女が住んでいるベルギーはブリュッセルに遊びに行くね、と約束。フライトをチェックすると、ベルリンから格安LCCで往復なんと30ユーロ(約3650円)! 

 

『全然、うちに泊まって!ベットになるソファーもあるし。ただボーイフレンドと一緒に住んでいるんだけど、大丈夫?』『うん、全然大丈夫!むしろ、お邪魔していいのかな?』『平気!』とwhats up(海外版LINEのようなもの)でメッセージを送りあう。

 

翌月の5月、私は早速ブリュッセルに飛んだ。

 

空港に到着し、電車に乗って彼女の家の最寄り駅まで向かう。駅で無事彼女と再会し、喜びのハグ。アパートに着いて、部屋に案内されると彼女のボーイフレンドが待っていて、早速紹介してくれた。

 

『私のボーイフレンド。彼はアフガニスタン人なの。』

 

そう紹介されたとき、あの毎日の朝食の時間がフラッシュバックした。脳内の奥に刻み込まれた記憶が呼び起こされて『危険な地域の国の人だ!!』とチカチカし始める。

 

それと同時に、私はもう中学生ではなく、いい大人になっていたので、どう会話を始めたら失礼に当たらないか、”大丈夫な話題”を考え始める。笑顔の裏でプチパニックになっていると、そんなことは御構い無しに、『ハロー、君は日本人なんだろ?』と彼は優しい笑顔で会話を始めてくれた。

 

『知ってる?日本は僕たちの国に、2番目に多く支援をしてくれている国なんだ。1番はアメリカだけれども、日本は軍事的な支援ではなくて、食料だったり、学校をつくってくれたり、ピースフルな支援をたくさんしてくれている。だから僕たちは日本のことが大好きなんだ。本当にありがとう。』

 

と。

 

 

その言葉を聞いて、心がじんわりとあたたかかくなっていった。そして、なんとも言えない橙色の気持ちで胸いっぱいに広がっていった。

 

キッチンに案内され、お土産に持ってきた日本の緑茶を差し入れると、彼女が早速お茶を沸かしてくれた。彼は冷蔵庫の中から、何か果物の入ったタッパを取り出し、お皿に出してくれた。

 

『これ知ってる?”Date”っていうんだけど…』

 

date
 

それは見たことがない茶色い果物だった。私が『知らない』と答えると、彼は目を丸くして

 

『本当に、遠い国から来たんだねえ…』

 

と、しみじみと言われてしまった。私からしてみれば、彼の方が毎朝テレビニュースで見ていた遠い国の人なのに、そうか、彼から見ても私は遠い国の人なんだ、と当たり前だけれども、不思議な感覚に、なんだか笑ってしまった。”Date”は、甘くて、もうちょっと硬めの干しぶどうみたいな味だった。うん、美味しい。

 

そこからだんだん打ち解けて、今の生活・仕事のことなどを緑茶と”Date”をつまみながら、私たちはお喋りし始めた。

 

彼は難民としてブリュッセルにやってきて、彼女は難民問題についてのマガジンのためにイラストを描くプロジェクトをしていて、それを通して2人は出逢ったのだそう。

 

ベルギーは歴史的背景から、フランス語・オランダ語・ドイツ語の3ヶ国語を公用語として使用している。英語も、もちろん共通言語として十分通じる環境で、難民意外にも様々な国の人たちが暮らしている国際都市だ。いろんな国の人がいるけれど、うまく共存して助け合ってるんだ、と教えてくれた。

 

ちなみに彼の仕事は、アジアンレストランのキッチン。泊めてもらうお礼に巻き寿司をつくる約束をしていたけれど、彼は仕事で寿司をつくっていると良い、『え!プロじゃん!!!』と思わずお腹を抱えて笑ってしまった。こちらでは『SUSHI』と書いてあっても、つくっているのは日本人じゃないアジア人が働くレストランばかりなのが結構普通なのだけど、アフガニスタン人のケースは初めてで、面白くて堪らなかった。『SUSHI』について語り合ううちに、すっかり彼とは打ち解けてしまった。

 

しかし話の途中で彼は突然、『時間だから、今からちょっとお祈りするね』と、とても美しいカーペッドを広げ始めた。

 

カーペッド

 

膝をつき、お祈りを始める。そう、彼はイスラム教信者のムスリムなのだ。私はこの日、生まれて初めてイスラム教信者のお祈りをする姿を見た。とても真剣な瞳で、神に祈り続ける彼は、なんだかとても神秘的だった。

 

『彼は1日5回、こうやって神様にお祈りを捧げるの。それに今は、ラマダン中だから日中何も食べれないのよ。水も飲めないの。』

 

そう言われて、はっ、と気づく。彼は緑茶も、Dateも口にしていなかったのだ。まさか、ずっとごはんが食べられない状態が続くの…?

 

『断食をするのは、日の出から日没まで。夜中は飲食ができるから、もうちょっとの我慢ね〜。』

と、彼女。

 

ラマダンは、イスラム教信者全員がしなくてはいけないことだと思っていたのだが、話を聞いてみると、妊婦さんと手術をしたばかりの病人など、ドクターストップがかかっている人たちは、栄養とパワーが必要だから例外らしい。ただし、体力が弱まっていたとしても老人たちはラマダンを実行する必要があり、それが原因で死亡するケースもあるらしい。

 

でも、それは幸せなことなんだ、と彼は言う。

『それは、神に近づけたってことだからね。』

お腹が空いた虚ろな目で、そう教えてくれた。

 

 

 

次の日。夕飯は約束していた巻き寿司をみんなでつくることになていたので、スーパーへ材料の買い出しへ。アジアンスーパーが近くにあるのかわからなかったので、海苔とお米と醤油は持参。ちなみに機内に持ち込める液体の量が限られているので、ウォッカの空き瓶に移して持ってきた。ドイツ人の同居人に、『ちょうど良い入れ物ない?』と聞いたら、これを貸してくれたのだ。面白すぎて、ブリュッセルについてすぐ、彼女にウォッカボトルに入っている醤油を見せたのだった。

 

『最高にクール!!』

 

と、またお腹を抱えて大笑いした。

 

ヲッか
 

スーパーで、卵・きゅうり・シーチキン・マヨネーズ・コーンを購入。生魚は、お寿司として食べて良いのかわからず怖かったので、買わずに帰宅。

 

しかし冷蔵庫を開けると、サーモンとマグロの大きな切り身が、ドーン!と詰め込まれていた。え、なんで!?と思っていると、ラマダン中の空腹で元気が出ずにベットで横たわっていた彼が、

 

『働いてるアジアンレストランから、もらってきた。新鮮な寿司用の魚だから、大丈夫だよ。』

と…。

 

『えっ、それってお店は大丈夫なの??こんなに大きいの、高くない!?』
『大丈夫、大丈夫。日本への、お礼。』

そう笑って、彼は言った。
彼は、私を通して日本を見て、私を通して日本への感謝の気持ちを伝えてくれた。私は、嬉しさと、でも戸惑いで、混乱してしまった。私自身は、彼の国に何もしていないのに。。これを受け取って良いのだろうか。。

 

そう考えていると、彼のスマホが鳴って、電話に出る。英語ではない言語で、でもなんだかとても慌てている様子は伝わってきた。

 

『兄のお嫁さんが、最近手術をしてドクターストップがかかってたのに、ラマダンをして危険な状態になっているらしい…!助けに行かなくてはいけないから、寿司作りは手伝えない、ごめん!!』

そう言うと、急いで出て行ってしまった。。

 

ドクターストップがかかっていても、危険にさらされるとわかっていても、ラマダンをしてしまう。『それは、神に近づけたってことだからね。』…そう昨日教えてくれた彼の表情を思い出した。

 

 

『…仕方ないわね。プロがいなくなってしまったけれど、2人で寿司を作りましょうか。』

彼女と、巻き寿司の準備に取り掛かる。
寿司を作りながら、彼女はアフガニスタンという国について話をはじめる。

 

『アフガニスタンではね、家族や仲間や絆をとても、とても大切にするの。もちろん人単位で見るけれど、仲間単位で物事を見て考えることもとても大切にしているの。…だから、もしこのお魚のことを気にかけているんだったら、気にしないで。きっと素直に喜んで、美味しいお寿司を作れば、彼も嬉しいわ。』

 

私は、ただ毎朝のNHK総合ニュースを、朝ごはんを食べながら見ていただけの人間で、直接的に彼の国に何かをしたわけではない。現地に赴いて支援物資を運んだわけでもないし、学校を建設したわけでもない。ただ、日本で支払った税金たちが、もしかしたらアフガニスタンへの支援に使われたかもしれない、それだけの、ただの日本人。彼の日本への感謝の気持ちと行動に、1人の日本人として、とてもとても嬉しかった。心が、とても暖かくなった。でも、その対象が、私でいいの…?と申し訳なさでいっぱいになっていた。

 

しかし、彼女にそう言われて、私の魚を見つめる視線の意識が変わる。素直に、嬉しいと、ありがとうと、彼の気持ちを受け取ろうと思った。

 

受け取った私ができることは、彼女が言うように美味しいお寿司をつくること。そしてブログやSNSに書いて、他の日本人たちにこのことを伝えること。仲間単位の”ありがとう”を受け取った個人の私が、インターネットを介して、また、日本に向けて仲間単位の”ありがとう”へ変換しよう。そんな使命感を持って、今この記事を書いている。
そして、彼女は話を続けた。

『それからね、大変なことがあったとしても、みんな前向きでいつも明るいの。フランス人は仕事やストレスがあると、すぐに弱音を言っちゃうんだけど、「何がそんなに辛いんだ。家族がいて、友達がいて、仕事があって、美味しいご飯があって、幸せじゃないか」って、いつも怒られちゃうんだよね。』

 

確かに、ラマダン中でお腹が空いている様子はあったけれど、彼と会ってから、一度も生活についての不満話を聞いたことがなかった。明るく、前向きな話ばかりだった。

 

2年前、ベルリンでドイツ語の語学学校に通っていたとき、クラスメイトの半分以上がシリア人というクラスで勉強をしていた。彼らも、私たちが想像できないくらいの大変な思いをしてきているだろうに、暗い影は全然見せなかった。いつも明るく、前向きで、ドイツの仕事につくんだ、大学に進学するんだ、と未来への目標を教えてくれた。そして、ヨーロッパ言語の中でも特に難しいドイツ語学習にいつも躓いていた私を、いつも助けてくれ、励ましてくれたのだった。

 

本当に、たくさん、たくさんの苦労をした人は、誰よりも、何よりも深い心で、人に優しい。そのことを、アフガニスタンの彼を通して、改めて感じた。

 

彼の話を、本当に幸せそうにしてくれる彼女を見て、こんな質問をしてみた。

『結婚は、考えてるの?もしムスリムの人と結婚するとなったら、あなたもイスラム教に改宗しなくちゃいけないの?』

 

すると、キリッと強い女性の顔に変わり、

『私は改宗する必要はないし、するつもりもないわ。ただムスリムの女性が、他の宗教の男性と結婚したいと考えた場合、その男性はイスラム教に改宗する必要があるの。ムスリムの女性は、ムスリムの男性としか結婚ができないから。それって、不公平よね。それから、アフガニスタンの家族は、みんな兄弟がたくさんいるの。彼にも結婚するなら、たくさん子供が欲しいと言われたけれど、私は子供は作りたくないと考えているの。この地球の未来のことを考えると、不安な世界に子供を残したくないわ。』

と、強い意思を語ってくれた。ヨーロッパの女性は、自分の意見を持って、はっきり主張する。

 

その話題をきっかけに、私たちの女子トークが炸裂し始めた。

プロの寿司職人がいなくなって、ちょこっと作ったことがあるよ程度の日本人が残り、結局はYoutubeのHow to 動画を見ながら巻き寿司を、ハプニングの連発で、大笑いしながらつくる。

 

大皿2つ埋め尽くされるくらいの、巻き寿司が出来上がった。一つはサランラップをかけて、ラマダン中の彼のために『夜中に食べてね』のメモと共に冷蔵庫へ。

 

お腹がペコペコの私たちは、早速巻き寿司を食べる用意をする。でも、醤油を入れる小皿が見つからない。すると、笑いながら彼女が

 

『ティーカップに醤油を入れて食べるのは、どう?フランススタイルよ!』
と、ティーカップを2つ出してきた。

 

『最高!』
と、笑いながらウォッカボトルに入った醤油を注ぐ。思った以上に、完璧だった。

 

 

ティーカップ

お寿司でお腹が満たされた私たちは、その夜ぐっすりと眠りについた。きっと、夜中に帰ってきた彼は、冷蔵庫の中にある巻き寿司を見つけて食べてくれるだろう。

 

 

 

ベルリンに帰る日のフライトの出発時間は、朝7時半だった。空港には遅くても6時くらいにいなくてはならないから、彼らの家を朝5時に出る必要がある。

 

私は朝早いから、こっそり一人で出て行くよと伝えたのに、2人とも大音量の目覚ましを朝4時半にセットして、一緒に眠い目を擦って起きてくれた。

 

最寄りの駅まで、徒歩約15分。この3日間の思い出話を、寝ぼけながらポツポツと話して歩く。彼は、夜中にお寿司を食べてくれたようで、美味しかったと教えてくれた。

 

 

駅について、電車のチケットを買って、駅のホームまで、電車が来るまで一緒に待ってくれた。

電車がやってきて、ドアが開く。またね、の挨拶と、ハグ。

 

 

イタリアで鍵が開けられなくて困っていた私を助けてくれたフランス人の彼女、毎朝テレビのニュースで見ていたブラウン管の向こうの国・アフガニスタン人の彼、そして遠い東の果ての国からやってきた日本人の私は、確かに大切な友達になったのだった。

 

 

 

 

 

2019.07.09

私が日本のみなさんに、伝えたかったことです。多くの人に、アフガニスタン人の彼の、日本へのありがとうの気持ちと、優しさが伝わったら嬉しいです。

 

プロフィール

KiKi / イラストレーター

西伊豆の小さな限界集落出身。交通機関もない、1番近いお店まで車で1時間。とにかく大自然しかない小さな集落で、紙とペンと空想で無限大に遊べることが、この上ない娯楽で贅沢でした。

2012年京都造形芸術大学キャラクターデザイン学科卒業。その後、同大学マンガ学科研究室にて副手を3年間務めながらイラストレーターとしての仕事を少しずつ増やしていき、2015年からフリーランスに。居場所を探して旅するように生きていたらベルリンに辿り着き、2016年の夏から移住。

例えば、私のように小さい集落で暮らしている子が、そこから旅立つ時期を迎えたときに、『世界はこんなにも広くて、こんなにも選択肢があるんだ』って気づけるようなものを残していけたら、最高だなと思いながら絵と文章をかいています。

私の生い立ち:http://kikiiiiiiy.net/whytraveling/
Portfolio site : http://kiyonosaito.com/
instagram : https://www.instagram.com/kikiiiiiiy/

 

 

 

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